● 【回想・サラリーマン時代】特にツラかった「3の倍数の月」

サラリーマン時代は

そのほとんどのキャリアを営業部門で

ソルジャーとして消耗していた。

 

当然のことであるが

年間の計画値を達成するため

月ごとに落とし込んだ計画値=ノルマが決まっている。

 

毎月毎月の月末の締切や

毎日毎日「どうやってやりあげるのか」的な打ち合わせで

管理者からゴリゴリに詰められる。

 

思い出すだけでも気持ちが悪くなってきてしまう。

 

その中でも「3の倍数の月」、

3月、6月、9月、12月は

特にしんどかった。

 

3月決算なので

4−6月(第一四半期)

7−9月(第二四半期)

10−12月(第三四半期)

1−3月(第四四半期)

 

という具合に「3の倍数の月」は

各四半期の締めの月にあたるため、

「なにがなんでも」的な空気感となり

本当に苦しかった。

 

逆に楽々乗り切った、

という記憶はほとんどない。

 

たとえ、計画値を達成していたとしても

その上部組織全体として足りなければ

「カバーせねば」となるし、

「3の倍数の月」の結果は

評価や昇進へのアピール度が大きいため

「あきらめてない」人たちから

発せられるサディスティックな

言動が自分に刺さる

たびに多大なストレスになっていた。

 

どれだけ寿命が縮まったことであろうか。

 

入社1年目のときそんな

詰めに詰められる会議の席で

不覚にも泣いてしまったことは

今も忘れない。

 

20年以上経ったいまも

「どのクライアント」の「どういう件」で

責め立てられていたのか、

鮮明に覚えている。

 

「泣いた」というのは

「目頭が熱くなった」とか

「涙が頬を伝った」というレベルではなく、

「しゃくりあげる」ように「わんわん」泣いてしまったのである。

 

いい大人が情けなく、恥ずかしいことである。

 

自分の弱さゆえのことであり

当時の管理者は「檄を飛ばして数字を出させる」という

自分の仕事を全うしただけであり

悪いのは自分であった。

 

そういう会社を選んだのも自分である。

 

でもそれだけ精神的にも

追い込まれ、どうしていいかわからない

感じになっていたのも事実であったと思う。

 

今は会社を辞め、

仕事のパートナーや相手を自由に選ぶことができる。

 

嫌だったら付き合わなければよい。

 

でも、この時のことや、

「詰めに詰め」られていた

ストレスフルな日々を

「いい思い出」とか

「人生の糧」

と思える余裕はまだない。

 

むしろ、

親でも親戚でもない

「アカの他人」から

なんでこんな言われ方をしなければ

ならなかったのか、

間接的にではあるが、寿命が縮まるような

言動を日々浴び続け、苦しまなければならなかったのか、

今もただただ疑問である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • Pocket
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

関連記事はありません

Menu

HOME

TOP